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プルースト『失われた時を求めて』感想Marcel Proust

  • nakata513
  • 2021年10月29日
  • 読了時間: 17分

In Search of Lost Time 

Marcel Proust

1. マドレーヌの挿話                  河東 丈二    


まずは,マドレーヌ菓子と紅茶による無意志的記憶の蘇りの現象を,「風景」との関連で検討する。「無意志的記憶の蘇り」とは,「意志」とは関係なく,ある感覚をきっかけに,突然過去 の記憶が蘇ってくることを指す。壮年の主人公「私」はある冬の日,パリの自宅で,母親に勧められ,一杯の紅茶にマドレーヌ菓子を浸して口に含む。すると得体の知れない幸福感に見舞われ,しばしの間,茫然自失となる。主人公の「私」は,この幸福感の原因をしばらく探り続ける。そして長い試行錯誤の時間の後,突如としてかつての記憶が蘇るのである。次の引用は,マドレーヌの味が,昔,田舎の親戚の家で味わったものと同じであることに主人公が気付く場面である―


それから突然思い出が現われた。その味覚はマドレーヌの小さなかけらの味だった。それ はコンブレーでこんにちはを言いにレオニー叔母の寝室に行くと,叔母はお茶か菩提樹のハーブティーに浸したあとで,私にそれをくれたものだった。

そして,叔母がくれた菩提樹のお茶に浸されたマドレーヌのかけらの味が認められるや否や,すぐに,叔母の部屋のある,通りに面した古い灰色の家が,劇場の舞台装置のように,それが面している庭の後側の壁(そのときまで唯一私が思い出すことのできたそこだけ切り取られた壁面)に接する,両親のために建てられた小さな別棟に合わさりにやって来た。それから家と同時に,朝から晩まで,あらゆる天気のもとでの町が,昼食前にお使いに遣らされた広場が,私が買い物に行った通りが,天気が良いときに通った道が現れた。そして,日本人が,水を満たした陶器の鉢に浸して楽しむあの遊びのように,小さな紙切れが,それまでは見分けがつかなかったのに,水に浸されるや否や,伸び広がり,捻じれ,色づき,区 別され,しっかりとしていて,識別可能な,花や,家や,人物になるのと同様に,今や, 私たちの庭の全ての花々や,スワン氏の庭園の花々,ヴィヴォンヌ川の睡蓮,村の善良な 人々,彼らの小さな住居,教会,コンブレー全体とその周辺,形と堅牢さを獲得したこれ らすべてが町や庭となって,私のお茶の入ったカップから出てきたのだ。

ここでは田舎町コンブレーの「風景」の各断片が次々と主人公の記憶に蘇っていくさまが記述されている。ここで思い出の想起の原動力となっているのは味覚と嗅覚である。かつて,叔母が紅茶や菩提樹のハーブティーに浸してさし出してくれた小さなマドレーヌの味を味わった記憶から,その記憶の舞台となった場所(田舎の叔母の部屋),それからそれに隣接する「風景」イメージ,つまり,叔母の「家」,それから「町」,また,町が包み込む,「広場」,「通り」,「道」,「花々」,さらには,「睡蓮」,「人々」「教会」,そして最後には「コンブレー全体」と「その周辺」といった「風景」イメージが,換喩的なプロセスによって蘇ってくる。ところでこの一節には「日本人」の「遊び」の比喩が登場している。これは「水中花」呼ばれる玩具のことで,植物の茎や木片でできた小さな塊を水に浸すと,膨張し,やがて花開くというものである。プルーストはこの玩具を,過去の視覚的記憶が一斉に花開くさまを説明するのに絶好の比喩として用いているのである。

ところで,土地の記憶を思い出すとは,かつて自分がながめた「風景」を思い出すという視 覚的な経験である。一方で,この場面で問題となっている味覚,嗅覚,といった知覚は,「風景」イメージを直接喚起するわけではない。むしろ,味覚と嗅覚は,風景を描写するのに不向きな 感覚と言うべきではないだろうか。また,マドレーヌの挿話でよみがえった「風景」は,主人 公の眼前に広がるものではなく,記憶の中で展開するものである。つまり,視覚とは関係ない 感覚を頼りにして,過去に抱いた視覚的イメージを再構成し,それを言葉によって記述することが,プルーストにとっての「風景」の創造だといえるだろう。

文学を天職と考え,小説家を志す主人公「私」は,社交界や恋愛など,様々な経験をする。 そして,結末部でようやく過去の記憶の蘇りの現象の価値を確信し,作品を書き始める決心を する。その決め手となるのが,記憶の蘇りがもたらす幸福感である。こうした経験を中心主題 にしたのがプルーストの発想だったのである。では次に,小説中で実際の「風景」がいかに描写されているのかを見て行きたい。


2. 散歩中の印象


前述のように『失われた時を求めて』は,主人公が小説家を目指すという物語である。今度 はこの小説家としての「天職」が,「風景」を通じて暗示されることを示したい。例えば散歩中,

「風景」が視界に入るたびごとに,主人公は天職について省察する機会を見出す。しかしこの省察の内容が,単純に主人公の目線から語られるわけではない。この小説は,無意識的記憶の蘇りを体験した中年の語り手「私」が,年若い主人公「私」の経験や思考を回想形式で物語ると いう構造になっている。したがって,以下の分析のうえでは,一人称単数の「私」が,「主人公」を指すのか,「語り手」を指すのかを明確に区別して表記することにする。自己の文学に対する素質に疑念を抱いている主人公と,それを現在から回想している語り手とでは「風景」の捉え 方が異なるからである。

では,第 1 篇『スワン家の方へ』第 1 章「コンブレー」において,主人公が独りで田園に散歩に行く場面を引用する―

家の壁,タンソンヴィルの生垣,ルーサンヴィルの森の木々,モンジューヴァンが寄りかかっている灌木の茂みは,傘やステッキの打撃を受け,歓喜の叫びを聞かされるのだった。それらの打撃や叫びはいずれも,私を高揚させる混沌とした観念の裏付けに他ならないのだが,時間のかかる困難な解明よりも,目先の結果へと向かう安易な横道の快楽を優先したことにより,光の中での休息に達することはなかった。初めて私は自分たちの持つ印象と普段の表現との間の不一致に直面したのだった。


主人公は雨上がりの「風景」の美しさに高揚し,持っている傘やステッキを振り回し,歓喜の叫びを上げる。

語り手は,「家の壁」,「タンソンヴィルの生垣」,「ルーサンヴィルの森の木々」,「モンジューヴァンが寄りかかっている灌木の茂み」のような,「風景」の断片を列記しているに過ぎないが,それらは,主人公の「私」(主人公)を高揚させるも,「混沌とした観念」にとどまっている。その観念は,「時間のかかる困難な解明」への誘いであると語り手は述べる。しかし主人公は「目先の結果へと向かう安易な横道の快楽」に甘んじてしまう。つまり,「風景」イメージは,主人公にとっては意味不明な像のままとどまっていると考えるべきである。語り手は, 家の屋根が水面に反射する情景を前にした主人公の視覚的な経験を,次のように描写する―


瓦屋根は,太陽の光を再び反射させていた沼に,薔薇色の大理石模様をつけていたが,私はまだ一度もそれに注意したことがなかった。水面や壁の面で青白いほほえみが空のほほえみに答えているのが見えると,私は興奮して畳んだ傘を振り上げ,「ちぇっ,ちぇっ, ちぇっ,ちぇっ」と叫んだ。しかし同時に,自分の義務は,このような不透明な言葉だけにとどまっていることではなく,自分の恍惚感をより明解に理解することではないかと感じた。


沼の水面に瓦屋根が反射するさまを,語り手は隠喩を用いて「薔薇色の大理石模様」と言い表している。この隠喩は「私」が視覚的な像を「風景」と認識していることのあらわれである。 また,「青白いほほえみ」が「空のほほえみ」に答えると表現することで,個別のイメージの間に関係性が生まれ,「風景」に統一感がもたらされると言えるだろう。しかし,この風景描写は, 語り手の認識によるものであり,主人公にとっては,「自分たちの持つ印象と普段の表現との間の不一致」に気付く体験に過ぎないのである。語り手は,「水面や壁の表面で青白いほほえみが空のほほえみに答える」と述べているが,主人公は,家の屋根が水面に反射する情景を前に した感動を詞的に表現する術を持たず,その代わりに,「ちぇっ,ちぇっ,ちぇっ,ちぇっ」という,言葉にならない叫びを上げるのみだからである。このエピソードの終わりで,語り手は 次のような見解を付け加える。「しかし私は自分の義務がこのような不透明な言葉(ちぇっ, ちぇっ,)だけにとどまっていることではなく,自分の恍惚感をより明解に見ることではないかと感じた」。つまり,小説家としての天職を実現するには,自然からの呼びかけに対して,言語表現で応答する能力が必要なのであり,主人公は,いまだその能力を獲得するに至っていないと理解するべきだろう。その意味で,この場面における「風景」とは,ただ単なる背景でも装飾でもなく,「天職」の発見の端緒となるべき表現媒体であると見なせる。はっきりとしない印象に言葉による表現を与えること,それこそ「風景」の創造であるからである。

ところで,主人公は,小説中でしばしば「文学の素質」が自分には欠如しているという強迫観念にかられている。しかし,時として外界からの印象が主人公に突然歓喜をもたらす機会が訪れる。それが,以下のような別な散歩の場面である―


突如として,屋根や,石の上の日差しの反射,路の匂いが特別な歓喜を呼び起こし,私を立ち止ませたものだ。それらが,目に見えるものの向こう側に,何かを隠しているように見え,その何かは,掴み取りに来るようにと私に誘いかけてくるのだが,あらゆる努力にもかかわらず,私はそれを発見するには至らないのだった。


ここで記されているのは,主人公が「目にみるものの向こう側」に「特別な歓喜」を感じ,その実体が何なのかを把握しようとしている,ということである。主人公は,「目に見える事物の向こう側」を見通そうと試みる。この試みの後,「屋根の輪郭線,石の陰翳」が「閉じ蓋」のようなものとなり,その背後には何かが充満しているように感じられる。つまり,「風景」は, 最初から可視的なものではなく,この「閉じ蓋」の背後に広がるものとされる。しかし,その 解明は,以下の通り困難なものである―


これらの形,香り,あるいは色の印象が,その背後に隠れているものを見ることに努めるという私に課された良心の義務は,実に困難なものだった。


また,その困難は次の悲観的な文言にも見出せる―

一度,家で私は他のことを考えたものだ。そのとき精神の中では(私が散歩の間に摘んだ 花や人がくれた物が部屋の中に積み上げられるように)陽光の反射が戯れている石,屋根, 鐘の音,葉群の匂いなど,実にさまざまにイメージが折り重なっていた。そのイメージの 下では,発見するために十分な意思が私には備わっていなかった,予感された現実が,死に絶えて以来長い時が経ていた。


以上から,プルーストにとっての「風景」とは,解読が必要な美学的な記号に等しいこと,また, 現に見えるものといまだ見えないものとの間を行き来する意識であることがわかる。

天職が劇的なかたちであらわれるのは第 7 篇『見出された時』においてである。無意識的記憶のメカニスムが啓示された後にはじめて,主人公は創造行為に取り掛かる。「予感された現実」が明らかになると,自然の不可視の部分が感知される。かつてコンブレーでの散歩の最中に「はっきりとしない印象」を前にして主人公が行ってきた努力が次のように回想される―


すでにコンブレーで私は注意をこめて精神の前でイメージのようなものを凝視したものだ。そのイメージは私に,雲,三角形,鐘塔,花,小石などを見ることを強いたのだった。これらの記号の下には多分,私が発見するように努めているはずのものとは全く別な何か,つまり,物質的な対象だけを表現すると信じられている象形文字のように翻訳すべき思考があると感じられたものだ 。


プルーストにおける「風景」は,観察する主人公の精神と,引用中にある「雲,三角形,鐘塔,花, 小石」といった視覚的対象が秘める「イメージ」を,象形文字のように解読する行為から生じる。ジャン=ピエール・リシャールはこのような対象を,「解釈論的な対象」(objets herméneutiques) と呼び,その解読に努めることが対象にたどり着く唯一の手段であると述べている。「風景」は, 直に見える視覚的な世界ではなく,解読,あるいは引用中にあるように「翻訳」の行為により 生まれるものである。過去の記憶の蘇りも,視覚的な対象の解読と同じメカニスムで進行する と見なせるだろう。事物の「記号」を前にした主人公は,解釈の努力によって,それらが内蔵 する不可視のものに到達する。その際,これらの記号が有機的に結びついて「風景」が生まれるのだと言えるのではないか。では次に,「目に見えるものの向こう側」が垣間見える瞬間を記したテクストを見て行きたい。


3. マルタンヴィルの鐘塔


『スワン家の方へ』におけるマルタンヴィルの鐘塔のエピソードは,「風景」イメージが風景描写として創出されるプロセスを示したものである。語り手は,散歩からの帰りに乗った馬車から,マルタンヴィルの村にある教会の 2 本の鐘塔を目にした経験を回想して以下のように述べる―


道が曲がるところで私は,マルタンヴィルの 2 本の鐘塔を見て,突然ほかのいかなる快楽にも似ていない特別な快楽を覚えた。鐘塔に夕陽が当たり,私たちの馬車の動きと道の曲折によって,鐘塔は位置を移動させているように見えるのだった。それから,丘と谷によってこれらの鐘塔から隔てられているヴューヴィックの鐘塔が,遠方のより高い台地の上に位置していながらも,2 本の鐘塔のすぐ隣にあるように見えてきた。


この情景を目にして歓喜を覚えた主人公は,その印象を散文詩として書き留める。その結果, この場面は,上記のごとく語り手による説明的な風景描写と,後に挙げるような主人公による 詩的な風景描写の 2 部構成になっている。

語り手は移動中の馬車から見えるこれらの陽光に輝く鐘塔を目にして,「この動きの背後,この輝きの背後に,それらが含み持ち,同時に隠しているように思われる何か」25)を予感する。 この「何か」について,ガエタン・ピコンは「恍惚をもたらす対象は,対象がもたらす感覚で はなく,感じられるものの中に隠された,感じられるものの彼岸である」と解釈している。この「感じられるもの」の「彼岸」の「風景」ヴィジョンを表現したのが,以下である。「間もなく鐘塔の輪郭線と,太陽に照らされた表面が,あたかも,一種の樹皮であるかのように破れ, その中に隠されていたものが少し現れ,私は直前まで存在しなかった考えを持つに至ったが, その考えは,頭のなかで,言葉となって表わされた」27)。ここで記されているのは,目に見えるものの表層が,「樹皮」のように引き裂かれ,その向こう側にあるものが姿を現す瞬間である。ところで,「言葉となって表された」というのが重要な点である。言うまでもなく,これは,「風景」が,「言葉」となって生まれる瞬間をとらえた記述である。また,この引用中の「樹皮」が, 先に言及した「閉じ蓋」(couvercle)とともに,目に見えるヴィジョンと,目に見えない隠されたヴィジョンとの境界線となっている。つまり,ミシェル・コロが主張するように,「風景」の中の「地平」(horizon)は見えるものと見えないものの境界線となっているのである。そして, 主体は,想像力によって,「地平」の彼方にまでイメージを延長させて「風景」を創出しているのである。この場面の「風景」も,可視的な領域と不可視の領域とを区切る観念上の「地平」の向こう側に対する想像力によって生み出されていると解釈することができるだろう。ところ で,「風景は,いかなるものであれ,精神の状態そのものだ」という,

アミエルの言葉は,「風景」の内面性を例証する言葉としてしばしば引用される。しかし,外界がもたらす感覚がきっ かけとなって生まれるプルーストの「風景」は,アミエルの考える「風景」とは異なるもので あろう。プルーストの風景観は,むしろサルトルが『文学とは何か』で述べている以下の記述 と通じるのではないだろうか―


ある風景に魅惑されるとき,その風景が私によって創造されたのではないことを私は知っている。しかし,私がいなければ,私の眼下,木々,葉むら,大地,草草の間でうち立てられた関係は全く存在しなかったであろうことも知っているのである 31)。


今度は,語り手ではなく,主人公自身による風景描写の一節を見たい。文章自体,年若い主 人公が作成した散文詩の引用という体裁になっているが,引用符の存在により,この一節は, 額縁の中に描かれた風景画を思わせる。しかしこの描写は,客観的な地誌的描写でも,絵画の ように静的なものでもなく,直接話法による語りによって時間性を獲得した,力動的な「風景」と言える。以下がその前半部の抜粋である―


「[マルタンヴィルの鐘塔]に近づくのが実にゆっくりとしていたので,到達するのにまだかかるであろう時間について私は考えていた。とそのとき,突然,馬車は曲がり角を曲がり,鐘塔の足許に私たちを降ろした。そして,鐘塔が非常に乱暴に馬車の前に身を投げ出してきたので,私たちはその玄関にぶつからないよう停止するいとまもないほどだった。」


この一節は,移動する視点によって描写された,力動的な風景描写であると言えるだろう。主体が鐘塔という対象に接近し,「到達」する過程が,主人公の主観によって表現されている。上の引用に続く部分が以下である―


「私たちは道を進んだ。つい先ほどからすでにマルタンヴィルを去り,村は少しの間付いてきた後に消え去っていた。その間,私たちが去っていくのを眺めながら,マルタンヴィルとヴューヴィックの鐘塔は,地平にその姿だけを残し,別れの合図として,陽に照らされた頂を,まだ振り動かしていた。」


鐘塔は,視界の奥,地平から現れて,主人公に,詩的散文を執筆する契機を与えたあと,再び「地平」の奥へと消えていく。ここで重要なのは,眺望の中での「地平」の機能である。地平の向こうから出現した「風景」が,やがてまた地平の彼方へと消えていく過程が,塔を擬人化することで,生き生きと記述されている。

アンリ・ボネは,芸術家となることを運命づけられた主人公のヴジョンは本質的に「表現」 へと向かっていると断言する。視覚的に感知された印象を,言葉による表象へと変換させることで,事物の本質にたどりつき,そのことによって幸福感が生み出されるという。実際に語り手は,「風景」を言語で表現することの快楽を,次にように述べている。「マルタンヴィルの 鐘塔の背後に隠れているものは何か美しい文と同類のものであるに違いないとは思いもしな かった。というのも,私に快楽をもたらす言葉の形でそれが出現したからだ」。

エリアーヌ・ブケーはこの一節が「同じヴィジョンを対象とした二つの描写」である点に着目し,「鏡合わせに繰り返されるこの 2つの描写のうち,1つは回想としての過去に向かい,もう 1つは執筆行為を行う未来に向かっている」と述べている。文学における「風景」は,知覚した外界の諸要素を統合する,「語」の連なりとしての「文」として存在する。プルーストにおける「風景」とは, 言葉の連鎖を生み出すこと,つまり執筆よって「風景」を生み出す行為そのものであると言えるだろう。

さらには,『見出された時』の次の一節を読むと,「風景」そのものを再現することが,芸術作品を創造することのアレゴリーとなっていると考えることもできる―


結局のところ,マルタンヴィルの鐘塔を見たときにもたらされた印象にしろ,不揃いな二 つの敷石や,マドレーヌの味の記憶の蘇りにしろ,それぞれの事例においては,そのよう な感覚を,同様の法則や観念の記号として解釈しようと試みなければならなかった。それは, 思考することによって,つまり,私が感じたことを,薄暗闇から取り出し,精神的な等価 物に変換することによってなされるのだ。ところで,私には唯一と思われるこの手段こそ, 芸術作品を制作することにほかならないのではなかったか。


ここでは,具体的な「風景」として結実する印象や記憶の蘇りを,「精神的な等価物」に変換することで,「風景」が芸術作品として結晶化するという考えが表明されている。それゆえこそ,プルーストの風景描写へのこだわりは,ただ単に思い出されたものを記述するという次元を超えた,作品生成の根幹をなす事柄であると言えるだろう。


結語


ミシェル・コロが述べるように,19 世紀前半のロマン主義において,「風景」とは,主体が自己から抜け出し,周囲の環境へと広がる経験であった。19世紀半ばに,産業革命や科学の進歩により広まった実証主義的,唯物論的な思想を背景とした写実主義の時代には,絵画や文学における「風景」は,対象をできる限り客観的にとらえたものとなった。一方で,ボードレールはこの風潮に対する疑念を表明し,「風景」は芸術家がそれに付与する観念や感情によって美しくなると主張した。19 世紀末の象徴主義芸術における「風景」は,「魂」を映し出す鏡とみなされ,精神の内面を浮き彫りにするものとなった。

ロマン主義や写実主義の継承者であり,象徴主義の同時代人であったプルーストは,以上に述べた「風景」の多義性と風景構造の変遷に敏感であったはずである。しかし,プルーストの「風景」は,事物を客観的に記述する写実主義的風景とは違い,「風景」に向けられた眼差そのものに依拠するものである。また,象徴主義的風景とは違い,外界の事物がもたらす感覚に支えられたものである。かつまた,網膜に映った映像をそのまま再現したものである印象主義的風景とは異なり,過去の記憶であれ,地平の彼方であれ,通常は目に見えないものを記述したものである。

最後に,プルースト的「風景」の典型とみなすことが可能な,コンブレーのサン=チレール 教会の鐘塔の「風景」を確認することで結論としたい。コンブレーの町に近づく主人公にとって,

「サン=チレール教会の鐘塔は,かなり遠くから,地平に,その忘れがたい姿を刻みつけているのが認められた」とある。その後も作品に通底する情景として,鐘塔のある「風景」は「等価物のない存在」とみなされ,その唯一の存在が記憶に刻印されることになる。つまり,「地平」を境にして,こちら側で視覚を働かせる主体と,彼方の普段は見えない世界から時折垣間見える対象,この双方の関係を,言葉によって表現することが,『失われた時を求めて』における「風景」であると考えられるのではないだろうか。

 
 
 

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