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『94』日本の独立         河東丈二

nakata513

1951年、日本はサンフランシスコ講和会議で日米安全保障条約を結び、アメリカの占領下から独立します。日本の幸運は、吉田茂というリーダーがいたことです。明治維新は鎖国の200年の遅れを取り戻す運動で、そのビジョンを描いたのは当時35歳で江戸幕府の総理大臣的な役割を果たしていた阿部正弘でした。そのビジョンが開国・富国・強兵という3つだったことは、これまでお話ししてきました。


 ところが、日清戦争、日露戦争、第1次世界大戦とうまくいったので、日本は調子に乗って開国を捨てます。「富国強兵だけでやれる。世界と仲良くせんでもええ」というわけです。この結果が第2次世界大戦の敗戦です。吉田茂はもう一度この3枚のカードを机の上に置いて、開国と富国に力を入れ、強兵は日米安保条約で代替しようと考えたのです。


 よく知られていることですが、サンフランシスコ講和会議で日本の全権団のメンバーは全員が講和条約にサインしています。ところが、日米安保条約にサインしたのは吉田茂1人でした。いわば、吉田茂1人で、安保条約を発効させているのです。


 これには見方がいろいろあります。吉田茂がワンマンでほかの全権には詳しい内容を知らせずに勝手にやったという見方もあれば、一国のリーダーとして、自分1人が責任を負うと覚悟してやったという見方もあります。僕は恐らく、両方だったと思いますが、後者の意味合いが強かったのではないでしょうか。明治以降の日本のリーダーの中では、大久保利通と吉田茂が一身に責任を負うという意味では、傑出した存在であったと思います。


 当時の日本では、西側諸国とだけ講和するのではなく、全ての交戦国と全面講和すべきだという議論も強くあり、国論は二分されていました。でも、吉田茂には「全ての国と講和をしていたら時間がかかる。早く独立した方が日本のためだ」という大局的な判断があったのだと思います。サンフランシスコ講和会議の後、台湾との講和やインドとの講和など個別熱に様々な国と講和条約を結んでいきます。


 1952年、アメリカは水爆実験をして、もう一度ソ連を引き離そうとします。でもソ連も翌年に水爆の保有を宣言します。原爆のときは5年ぐらいアメリカとのタイムラグがありましたが、水爆では1年です。ソ連が宇宙開発や軍事力の強化をいかに徹底的にやっていたかがよく分かります。長い目で見ると、これがソ連の弱体化につながっていくのですが。


 1954年10月には西ドイツが主権回復と再軍備を始め、NATOにも加盟します。ヨーロッパではソ連に対抗する形でアメリカの組織固めが着々と進んでいました。


 このころ、周恩来とインドの初代首相であるネルーが「平和5原則」という原則を表明して、米ソに対抗してアジア・アフリカという第3の極をつくります。毛沢東がスターリンと結んだ鉄の同盟といわれた中ソ同盟ですが、このとき既に、毛沢東は「スターリンはけしからん、とんでもないやつだ」と側近にこぼしています。実は、この2人は体質的に合わなかったようで、中ソの関係はどうも初めからうまくいっていなかったようです。それで、中国はネルーに近づいて、アジアやアフリカの国々と第3極をつくろうとしていたのです。


 1956年、スターリンが死んだ後、権力を握ったフルシチョフは、「スターリンはとんでもないやつだった。粛清をたくさんやった」と、秘密報告の形式でスターリンを批判します。


 同年6月にはエジプトのナセルが大統領になります。ナセルは国力の差をきちんと認識していましたから、最初はアメリカに武器援助を頼みました。ところがアメリカは、「クーデターで王制を倒したのはけしからん」といってナセルをなじります。ナセルは「それならソ連に頼みに行くしかない」となり、西側はエジプト南端部で計画していたアスワン・ハイダム建設の資金援助を撤回します。そこで万策尽きたナセルはスエズ運河の国有化宣言を行います。


 このパターンは何度も繰り返されます。キューバに対してもそうなのですが、あまりにもかたくなに「自分にぺこぺこしないやつはあかんで」というアメリカの姿勢は、かえってぺこぺこしない気概のある国が全部ソ連の方に行ってしまうという外交上の失錯を招きました。


 1956年10月には日ソ共同宣言が行われて、主要国とは国交回復が成りました。これで日本は国連加盟ができたのです。例の歯舞、色丹問題も平和条約が結ばれたら返すという取り決めがあったのですが。日本が国連に加盟できたのは、拒否権を持っている5大国全ての了解が得られたからです。


 フルシチョフはアメリカに追いつき追い越そうと、無理をして引き続き軍事技術に多くの資源を投入します。1957年、大陸間弾道ミサイル(ICBM)はソ連が先に成功します。アメリカは必死に追いつきます。人工衛星もソ連が最初。アメリカはすぐに追いつきますが、原爆、水爆では先行していたアメリカがこの時期、宇宙・軍事技術ではソ連に先を越されているのです。このあたりがフルシチョフの絶頂期です。

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