アメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領は、大戦終結後の世界の見取り図をつくった上で第2次世界大戦に参戦しました。第2次世界大戦が起きた理由の1つは、1929年の世界大恐慌です。ルーズベルトは「金融はめちゃ怖い」ということが分かっていたので、先に国際通貨基金(IMF)や世界銀行をつくって金融で世界を安定させ、それから国際連合をつくることにしました。そして、5人のポリス、つまり、自分と連合王国(UK)のチャーチル、フランスのドゴール、ソ連のスターリン、そして中国の蒋介石で世界を仕切ろうと考えました。しかし、戦後、米ソの関係が悪くなります。
1946年にチャーチルが有名な「鉄のカーテン」演説を行います。そして、東ヨーロッパと西ヨーロッパの分断が進みます。
さらに1946年6月には中国で国共内戦が始まりました。当時は中国の4分の1ぐらいが共産党の支配下で、4分の3は国民党政府が押さえていました。しかも、国民党政府はアメリカが支援していますから、武器弾薬も豊富で普通なら勝つはずです。
ただ、この頃の共産党は大変しっかりしていて、毛沢東が「三大紀律八項注意」という有名なルールを共産党軍に示します。これは簡単にいうと「お百姓さんのもの、人民のものは何一つ取ってはいけない」というものです。それに対し、蒋介石の国民党は戦争を始めたら、村にある物資を勝手に持っていきます。ですから、共産党は村人から支持されて、蔣介石を台湾に追い払ってしまいました。
これで、アメリカは目算が狂いました。早くも5人のうち、1人が脱落したのです。
アメリカは1947年に「マーシャルプラン」を出します。お金を出すから、みんなでヨーロッパを再建しようという計画です。これには東欧も含まれていたのですが、「アメリカからお金をもらったらアメリカの言いなりになるやんか」と、初めからソ連、東欧は不参加でした。既に冷戦が始まっていたのです。
マーシャルプランに対抗するような形でスターリンは「コミンフォルム」という共産党系の組織をつくりました。これには東欧だけではなくて、フランスとイタリアの共産党も入っています。
ドイツは前回お話ししたように、ソ連、アメリカ、UK、フランスの連合国が分割占領していました。でも、米ソの対立はのっぴきならないものになり、1948年のロンドンコミュニケで西側3カ国の占領地域を統合して西ドイツをつくることになります。
これに対しスターリンはベルリンを封鎖します。ベルリンはドイツの東の方にありますから、ソ連の占領地域(東ドイツ)の中にあるのですが、ベルリンだけはドイツの首都ということで、4カ国で分割占領していました。西側の西ベルリンの食料などは自動車や鉄道といった陸路で補給していましので、ソ連は陸路を封鎖したのです。「こうすれば西ベルリンは干上がるだろう」とスターリンは考えたわけです。
これに対しアメリカは飛行機をがんがん飛ばして補給を続け、「全然困らないよ、やれるものならやってごらん」と空輸で対抗しました。それでスターリンは諦めて封鎖を解きます。
イスラエルが独立して、同時にアラブとの戦争が始まり、イスラエルが勝って建国します。朝鮮もこのときに大韓民国と北朝鮮に分かれた形で独立します。
1949年になると、マーシャルプランに対抗して東ヨーロッパでは経済相互援助会議(コメコン)ができ、西側諸国は軍事同盟である北大西洋条約機構(NATO)をつくります。そして、アメリカは西ドイツを独立させます。これに対抗して、ソ連も東ドイツを独立させます。
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