top of page
検索

『101』ゴルバチョフと冷戦の終結

  • nakata513
  • 2022年4月5日
  • 読了時間: 2分

1985年、ソ連ではゴルバチョフが書記長に就任します。なぜ、ゴルバチョフのような人物が書記長になれたのかは、いまだに世界の謎です。ゴルバチョフは2つの信念を持っていたのです。1つが「倫理や道徳と政治は両立する」というものです。聞いたことがないでしょう。政治は結果主義なので、少しぐらい悪いことや汚いことをしても、結果がよければオーケーというのがこれまでの政治の考え方ですよね。


 そしてもう1つの信念が、「暴力を使ったらいけない」というものです。ソ連のような体制の中から、こういうおとぎ話のような理想を掲げた政治家がなぜ生まれたか。めちゃ不思議でしょう。しかし、ゴルバチョフの登場によって、米ソの冷戦は終わるのです。


 1985年はプラザ合意で大変な年です。急速な円高になります。でも、これに耐えたことが日本経済を強くして、バブル期に入っていきます。甘やかされたら、だいたい何事でも頑張れませんよね。円安より円高が日本を強くするのです。


 1986年にチェルノブイリで原子力発電所の事故が起こります。ゴルバチョフが国連演説をして、制限主権論を破棄します。これは1968年にブレジネフ書記長がプラハの春に軍事介入したとき打ち出した、社会主義共同体全体の利益のためには各国の主権は制限できるというめちゃくちゃな理論です。これをゴルバチョフが公式に無効だと宣言したわけです。


1989年、ベルリンの壁が崩壊した

 1989年にはソ連がアフガニスタンから完全に撤退し、中国では天安門事件が起こり、ベルリンの壁が崩壊して冷戦が終結します。これも、ゴルバチョフが絶対に武力を使う人ではないという確信を東欧の人々が持っていたので、あっという間に革命が起こったのです。


 そういう意味では、ゴルバチョフはソ連ではめちゃ不人気です。だって自分たちが持っていた権益を全部なくしたわけですから。でも東ヨーロッパや世界では人気がある。ゴルバチョフの評価は、恐らく50年、100年たたないと分からないと思います。


 結果としてはソ連を解体し、それによって東欧の国々を独立させたわけですから、やはり特筆すべき政治家だと思います。むしろゴルバチョフの本領は、権謀術数や裏切りが横行する国際政治の中にあって、「道徳や倫理と政治が両立する」「暴力はいけない」ということを確信していたまれな政治家であったことです。彼はもっともっと研究の余地がある人だと思います。

 
 
 

Commentaires


  • Facebook
  • Twitter
  • LinkedIn

©2021 by 株式会社化理府-カリフ-Caliph。

bottom of page