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『100』イラン革命とソ連のアフガニスタン侵攻  河東丈二

  • nakata513
  • 2022年4月5日
  • 読了時間: 2分

1979年、イランに革命が起こります。イラン革命で誕生した政治体制は一見不思議なシステムで、大統領の上にお坊さんがいます。シーア派は12代目のイマーム(指導者)が子どものころにお隠れになっています。「世の中が平和に治まれば、また隠れた状態から世の中に出てきて国民を指導してくれる。イマームが隠れている間は、その代行として徳を積んだお坊さんが政治を含めて全てを指導する」という、シーア派の教義そのものを国の形にしたのです。


 議会もあれば大統領もいるし、三権もしっかりしているのですが、その上に、ホメイニ氏、その後はハメネイ氏というお坊さんが乗っているのです。


 イラン人は歴史的には非常に優秀な国民で、まず中東では人口が一番多いですし、唯一、中東で大帝国を運営した経験を持つ国民です。アカイメネス朝、サーサーン朝、それからウマイヤ朝、アッバース朝などのイスラーム帝国もペルシャ人の官僚が仕切っていました。インドのムガール朝は、実はトルコ人の武力とペルシャ人の官僚が合体した政権です。アメリカのオバマ前大統領がイランと協定を結び、長い目で見れば中東の安定はイランと仲良くする以外にないという考えは、恐らく100年単位で考えたら正しい政策だと思います。


 しかし、このイラン革命の後、アメリカ大使館人質事件などがあり、アメリカとイランの関係はずっとぎくしゃくしています。イスラエルはいつもイランを意識しています。人口も多いし、能力も高いので、イスラーム国家の中ではイランが一番怖いということを、たぶんよく知っているのだと思います。


 1979年は、ソ連がアフガニスタンに侵攻した年でもあります。これがアフガン問題の発端です。ソ連が侵攻したので、アメリカはゲリラにパキスタン経由でがんがん武器を渡します。ウサマ・ビンラディンにも中央情報局(CIA)が武器を渡しています。ソ連に対抗するために、アメリカがパキスタン軍と一緒になってアフガニスタンのゲリラを育てたのです。それが今、アメリカに牙をむいているのです。


 1980年、ポーランドの連帯(独立自主管理労働組合)が結成され、1982年にはソ連のブレジネフ書記長が死亡します。ソ連も少しずつおかしくなっていきます。この年は、国連で海洋法条約が結ばれ現在の領海や排他的経済水域が決まった年です。

 
 
 

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